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歴史上の英雄に学ぶリーダーシップ【項羽と劉邦】

リーダーシップ

みなさん、こんにちは。中小企業診断士のそうむうです。

項羽と劉邦という2人の英雄を、皆さんはご存じでしょうか。
秦の始皇帝が死に、再び乱れた中華を統一せんと覇を争ったのがこの2人です。

対照的な2名の戦いは、劉邦の勝利で決着し、漢帝国が誕生します。
なぜ、戦場では常に最強であった項羽は劉邦に敗れたのか。

そこには戦略、組織のマネジメント、リーダーシップのヒントが隠されています。

項羽と劉邦の生まれや育ち

項羽
楚の名将・項燕の孫です。
幼い頃に文字と剣術を学びましたが、「文字など自分の名前が書ければ十分、剣術はしょせん1人を相手にするものでつまらない」と言い、用兵術を学びました。
しかし、その用兵術も基本と概略を一通り学ぶと、それ以降はやめてしまったそうです。

非常に力が強く、また背も高く人より抜きんでた才気を放っていたため、周囲の人々は皆一目置くような人物でした。

叔父である項梁の挙兵に従い、対秦の戦いに身を投じていきます。

劉邦
庶民の出であり、亭長(警察分署の署長)をしていましたが、酒や女にだらしないゴロツキのような男でした。ただ、不思議な魅力を持っており、彼の元に人が集まることから飲み屋では飲み代をタダにしてもらっていたりしたそうです。

労役に駆り出されましたが、期日までに目的地に到達することができなくなり、処刑されるくらいならと反乱の旗を掲げます。

戦争の天才・項羽に負け続けた劉邦

さて、そんな2人は最初は同陣営に属していましたが、最終的には漢・楚の2国を背負い覇権を賭けて争います。
2人の軍事的才能はどのようなものだったのでしょうか。

項羽
戦争に関して言えば、中国史上でも項羽に並ぶ者はなかなかいません。
鉅鹿の戦いではおよそ10倍の秦軍を、 彭城の戦いではなんとたったの3万で56万の漢軍を散々に打ち負かします。
鬼神の如き個人の武勇と、兵に猛烈な勢いを与える用兵に長け、戦場で彼に敵う者はありませんでした。

劉邦
決して戦下手ではありません。攻城戦はやや苦手なようですが、挙兵時から野戦では大きな戦果をいくつもあげています。
しかし、項羽では相手が悪すぎ、常に負け続けました。

では、基本的には戦争で勝った方が覇権を握る世の中で、劉邦が項羽を破った理由はなんでしょうか?

戦略を持った劉邦・戦術のみの項羽

項羽より戦争が弱い劉邦ですが、戦略の重要性の理解では項羽を上回っていました。

劉邦
劉邦のとった戦略はこうです。
まず、劉邦の本隊が項羽を足止めします。この局地戦では常に劉邦が劣勢で、時に手痛い敗戦も喫します。
しかし、その隙に配下の韓信が楚以外の他国を平定して周ります。
また、同盟者の彭越を使い、ゲリラ戦法で項羽の補給線をかき乱し続け、項羽からの決定打を受けないようにに立ち回りました。

項羽
一方、項羽は局所では大勝しますが、各地の戦場を転戦するばかりでした。
破っても破っても現れる劉邦軍、後背を脅かす彭越軍を追って戦いましたが、戦場での勝利以外に得られるものは少ない状態でした。

やがて韓信が魏や斉を平定すると、両者の力関係はすっかり逆転してしまいました。

人を活かす劉邦・自分頼みの項羽

また、部下の活用方法にも大きな違いがありました。

劉邦
劉邦は部下の意見をよく聞き入れます。
また、能力のある者には大胆に地位や権限を与え、成果を出せば恩賞を惜しみませんでした。
劉邦自身に一定の見識があり、人を見抜く目が確かだからこそできたことでしょう。
部下の献策も玉石混交であり、すべてを採用していては破滅します。

彼の下には、内政と兵站のスペシャリスト蕭何、帷幕の中で千里先の勝敗を決すると謳われた天才軍師の張良、そして軍事の才では項羽にもひけをとらない国士無双の韓信など、多種多様な人物が集まりました。
韓信などは元は項羽陣営に属しており、劉邦軍に鞍替えした時も低い身分でしたが、一足飛びに大将軍に登用されました。

項羽
対する項羽は独断的で人の意見を採用することが少ない人物でした。
猜疑心が強く吝嗇で、部下に重要な役割を任せず、活躍しても身内びいきばかりして正当に評価しませんでした。
その様子を韓信に「婦人の仁である」と酷評されています。
婦人の仁とは、卑近な出来事には涙を流して同情する優しさがあるが、部下に正当な恩賞を与えたりする大局的視点に欠けるという意味です。

項羽の元にも才能ある将帥、知恵者は多々いましたが上手く使うことができませんでした。
亜父(父に次ぐ者)と呼ぶほどの腹心で、唯一張良に対抗できたであろう軍師の范増ですら、劉邦陣営の陳平の離間策にはまって追放してしまったほどです。

大事なのは組織と人の力を引き出すこと

結局楚漢戦争は、垓下の戦いで四面楚歌に陥った項羽の敗北で幕を閉じます。

戦争の力量では劉邦を圧倒的に凌駕していた項羽ですが、最終的には寵姫である虞姫(虞美人)すら守り通すことができず、長江のほとりに散りました。

項羽は「自分が敗れるのは時勢が味方しなかったからだ」と言いましたが、果たしてそうでしょうか。

その時勢を作ったのは劉邦の戦略です。
そしてその戦略の立案と実行を支えたのは劉邦の幕僚たちです。

結局、項羽は劉邦の大局観と人事の妙の前に敗れ去ったのでした。

皆さんは、この故事から何を学ぶでしょうか。
経験だけに学ばず、歴史から学べば必ず今の課題も見えてくるはずです。

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